年 | 年齢 | 記事 | 一般及び富士通関係事項 | ||
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大正12年 (1923) |
0 | 8.7 | 父弥太郎 母まさをの長男として東京市本所区東両国2-2-1にて出生 | 9.1 | 関東大震災発生 |
昭和5年 (1930) |
7 | 4.1 | 本所区立江東(えひがし)小学校入学 同校は現在の墨田区立両国小学校 |
10.1 | 特急「燕」運行開始 |
昭和11年 (1936) |
13 | 4.3 | 東京市立第一中学校入学 同校は、後に都立九段中学校と改称し学制改革により都立九段高校となる。 |
7.31 | 第2回オリンピック大会を東京開催と決定 |
11.7 | 国会議事堂竣工 | ||||
昭和16年 (1941) |
18 | 3.25 | 東京市立第一中学校卒業 | 3.1 | 国民学校令公布 |
4.- | 浦和高等学校理科乙類入学 | 12.8 | 太平洋戦争勃発 | ||
昭和18年 (1943) |
20 | 9.- | 浦和高等学校理科乙類卒業 | 9.21 | 官庁、工場、人口の疎開方針決まる |
10.- | 東京工業大学電気工学科入学 | ||||
昭和19年 (1944) |
21 | 4.- | 学徒動員(大宮造兵廠) 8月まで | 2.4 | 軍事教育全面的強化 |
昭和21年 (1946) |
23 | 9.- | 東京工学大学電気工学科卒業 | - | 最初の電子計算機 ENIAC完成 |
12.9 | 富士通信機製造株式会社入社 技術部交換機課配属 | 11.3 | 日本国憲法公布(22年5月施行) | ||
昭和23年 (1948) |
25 | 2.1 | 技術部機構研究室勤務となる | 7.1 | アメリカ ベル研究所でトランジスタ発明 |
昭和24年 (1949) |
26 | 8.1 | 技術部開発課勤務となる | 11.3 | 湯川博士ノーベル賞受賞 |
昭和25年 (1950) |
27 | 10.1 | 技術誌「FUJI」に寄稿(Vol1,No2) (ダイヤルの回転運動の解析) |
6.25 | 朝鮮動乱勃発 |
12.- | 通研、トランジスタの研究を開始 | ||||
昭和27年 (1952) |
29 | - | コンピュータ関係の調査開始 | 7.19 | ヘルシンキオリンピック大会 |
12.20 | 技術部調査課勤務となる | ||||
昭和28年 (1953) |
30 | 4.15 | 技術部交換機課勤務となる | 3.- | 株式取引高精算用計算機完成 |
7.27 | 朝鮮動乱終結 | ||||
昭和29年 (1954) |
31 | 7.1 | 技術部開発課勤務となる | 3.- | 後藤英一、パラメトロンを発明 |
10.- | わが国初のリレー計算機FACOM100 完成 | ||||
昭和30年 (1955) |
32 | 2.1 | 第一技術部開発課勤務となる | ||
昭和31年 (1956) |
33 | 12.21 | 電子技術部電算機課勤務となる | 12.18 | 国連に加盟 |
昭和33年 (1958) |
35 | 6.1 | 電子技術部電算機課長となる | 4.26 | 社日本電子工業振興協会設立 |
11.20 | 33年度地方発明表彰 (関東地方関係優秀賞「電気計算機回路の安全確認のための接続方式」) |
9.- | パラメトロン式電子計算機FACOM200完成 | ||
12.17 | 毎日工業技術賞受賞 (「継電器式電気計算機」) |
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昭和36年 (1961) |
38 | 3.10 | 第1回海外出張(アメリカ) | 12.- | FACOM 222A完成 |
12.1 | 工学博士号 (東京工業大学) 授与さる | ||||
昭和37年 (1962) |
39 | 3.1 | 電子技術部電子研究課長となる | 9.- | FACOM 231 完成 |
7.- | 電子計算機技術研究組合技術運営委員 | 11.21 | 第1回日本電子計算機ショウ | ||
11.1 | 電算機方式部次長兼プログラム課長となる | ||||
昭和39年 (1964) |
41 | 10.1 | 電算機技術部長兼プログラム課長 | 4.8 | IBM 360 シリーズ発表 |
11.1 | 電算機技術部長兼第四設計課長 | 5.6 | FACOM 230 シリーズ発表 | ||
10.1 | 東海道新幹線営業開始 | ||||
10.10 | 第18回オリンピック東京大会開催電算機方式部次長兼プログラム課長となる | ||||
昭和41年 (1966) |
43 | 4.18 | 全国発明表彰発明賞受賞 (「電気計算機におけるアドレス変更装置に対するアドレス変更量付与方法」) |
6.22 | 皇太子殿下、川崎工場及び富士通研究所にご来臨 |
8.5 | ソフトウェア開発部長兼務 | ||||
9.20 | 第14回オーム技術賞受賞 (「超小型電子計算機FACOM 230-10の開発」) |
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昭和42年 (1967) |
44 | 4.- | 社団法人情報処理学会理事(昭和44年3月まで) | 7.31 | 人口1億を突破 |
7.- | 社団法人鉄道通信協会調査研究委員会委員 | ||||
11.24 | 大型電算機推進部長兼務 | ||||
昭和43年 (1968) |
45 | 4.1 | 工業技術院大型工業技術研究開発連絡会議専門委員(昭和45年3月まで) | 3.- | FACOM 230-60完成 |
4.8 | 電子工業部情報処理本部情報処理技術部長代理兼ソフトウェア技術部長兼大型電算機推進部長 | 8.30 | FACOM 230 5 シリーズ発表 | ||
11.13 | 万国博推進部次長兼務 | ||||
昭和44年 (1969) |
46 | 11.1 | 理事となる | 4.- | DIPS共同開発開始 |
12.22 | 情報処理技術部長兼方式部長兼 TSS推進部長兼万国博推進部次長 | 6.4 | 常陸宮殿下、川崎工場ご来臨 | ||
7.20 | アポロ11号、月面着陸 | ||||
11.16 | 第1回情報処理技術者認定試験 | ||||
昭和45年 (1970) |
47 | 2.- | 防衛庁科学技術計算センター「合同準備委員会」委員 | 3.14 | 日本万国博覧会、大阪で開幕 |
4.- | 工業技術院「大型工業技術研究開発連絡会議」 (超高性能電子計算機) 委員(昭和47年3月まで) | 5.19 | 天皇、皇后両陛下会津工場に行幸啓 | ||
4.6 | 科学技術功労者顕彰 (科学技術庁長官賞) 受賞 (「大型電子計算機システムFACOM 230-60の開発」) |
7.1 | IBM 370 シリーズ発表 | ||
4.18 | 恩賜発明賞受賞 (「割込み計数器による割込方式」) |
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- | 通産省基礎情報処理技術海外動向調査委員 | ||||
7.- | 社団法人電子機械工業会技術企画委員 | ||||
11.28 | 取締役就任 | ||||
昭和46年 (1971) |
48 | 7.- | 社団法人情報処理学会規格委員 | 7.22 | 政府、電子計算機の自由化方針 |
5.- | 社団法人電子通信学会東京支部評議員 | ||||
11.10 | 紫綬褒章受賞 | ||||
昭和47年 (1972) |
49 | 4.- | 工業技術院「大型工業技術研究開発連絡会議」委員 | 5.15 | 沖縄、日本の復帰 |
8.- | 超高性能コンピュータ開発技術研究組合理事 | 5.29 | 日中国交樹立 | ||
11.30 | 常務取締役就任 | 12.26 | 米アムダール社に資本参加 | ||
昭和48年 (1973) |
50 | 1.- | 大型技術懇話会常任理事 | 8.6 | FACOM 230 8 シリーズ発表 |
10.16 | 石油ショック起こる | ||||
昭和49年 (1974) |
51 | 11.14 | 正五位勲三等受賞 | ||
11.14 | 専務取締役就任 | ||||
11.14 | 逝去 |