1.3 囲碁の発生と中国ルール |
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碁がいつの時代にどの様な人達によってどの様な過程で創られたかを知ることはまず不可能であるけれども想像をたくましくすることはできそうである。 三、四千年の昔の中国において、数多くの人達の間で行なわれ始めた碁が、永年の間に改良が加えられ技術も進歩しながら、次第に現在の形に近づいてきたものと考えても余り間違ってはいないだろう。 呉清源九段は、碁盤と碁石は昔は“易学”や其の他の学問の研究や説明の表示の道具として使用されたものであったが紙の発明によって其等は次第にゲームとしての囲碁の道具となったものであると説明されている。易の研究者や哲学者が碁盤や碁石での研究に疲れたとき、仲間と石の置比べをしようとしたことはあり得ることである。 交互に盤上に石を置き、石を囲めば取上げるという単純なルールから出発して、盤上により多くの石を置くことができた方を勝ちとする、という着想は自然であり発生しやすい。それだけに恐らく数多くの人々が同じ様な着想に達したものと考える方が妥当であるだろう。 このような基本的な着想から“劫”の処理を明確にしなければならないことはすぐ当面する問題である。循環に陥ってしまうことを避けるために“劫ダテをしてから取返すこと”という劫のルールの着想も優れたものではあるが、これも自然なものであるから殆んど同時に作られたものと考えてよいだろう。 これで原始的な囲碁の原形ができ上ったのであり、これを成文化すれば“原始囲碁ルール”となるのである。 この様な最も素朴なルールが中国の広大な国土と永い歴史の中で色々変形され改変が加えられたことは当然考えられることではあるがそれには何等かの理由があった筈である。そして色々のルールが中国の歴史の中で流行していたものと考えられる。日本流の“地”を中心とするルールも昔の中国で行なわれていたことが文献から推定し得るので、チベットや韓国に現存するルールも夫々の地で改変されたと考えることよりも中国の古い時代のものが伝承されたものと考える方が妥当かも知れないのである。 |