1.5 日本ルールの大きな欠陥

徳川時代に絢爛として発達をとげたにもかかわらず、その時代に囲碁のルールが成文化されなかったことは大変不思議なことであって、ここに日本式の囲碁のルール化の困難性と日本人の性格が現われているように思われる。
昭和24年に日本棋院の努力によって日本棋院囲碁規約が制定されたことは日本の囲碁史の大きな出来ごとであった。これは林裕氏の囲碁百科辞典に全文が掲載されている。これは長文のものでここに掲げることは出来ないのであるが、それの基本は日本の過去の慣習をそのまま成文化したこと、ルールとマナーを混同してしまったこと等のために囲碁ルールの研究のためには大変都合の悪いものであると云えよう。従ってここには囲碁の原理に関係する部分についてのみ欠陥を指摘するのに止めよう。
日本式の地とハマのルールの成文化には死活セキの定義を行なわなければならないと考えられて来た。然し実際に打つときは死活の判定は容易であるけれども、それを成文化することは容易ではない。そのために“隅の曲四目は無条件死”とか或いは“トラズ三目”といった様な不自然なルールや判例を沢山作ることによって解決しようとしたのである。然し囲碁は無限に近い変化があるために、それ等の不自然な解決法では解決し得ない沢山の例が作られるのである。其等を判例で解決しようとすれば不可能ではないかも知れないけれども、判例だけで恐らく大変な数となり実用的ではなくなる上にその様な考え方そのものが囲碁のゲームとしての価値を減じてしまう。ここには現行日本棋院囲碁規約の個々の問題を指摘することはやめ、基本的な問題として次の項に要約しよう。
(1) 囲碁の原理(規約)と対局としての規約の混同。
(2) 合理的に説明できない規約の存在。
(3) 交互着手の明確化と終局の意志表示の方法の不明確。
(4) 劫のルールの一般化を行なわなかったこと。
(5) 規約の表現方法の不充分さ及び不厳密さ。
これ等のために厳密に云うならば規約の体系をなしていないと云うべきかもしれない。(2)の存在が最も本質的な問題点であるけれども、私は規約の表現形式も重視しなければならないものと考える。

目次 ルール試案
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