5.1 手止り |
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前章に中国式のルールの唯一の欠点である“偶数ダメのときの手入れ問題”の解決のために、手止り1/2目ルールの導入によって、極めて合理的に解決することを述べた。そしてそれが台湾式ルールといわれるものであり、これは原始囲碁ルールともいうべき中国式ルールを一歩前進させたものであることを示した。 この手止りの意味を少し別の角度から眺めてみると大変興味あることがわかる。 最初のパスの直前の手を手止りとするということは、相手に2手連続打着させても相手が利得を得られない(自分が損をしない)ことを意味している。日本の慣習法の場合も終局ということは最終着手を行った方が、もう一手連続打着をしたとしても双方が利得も損もしない状態を意味している。 結論的に云えば、中国式ルールでも日本式のルールにおいても、囲碁には一方が連続2手打着しても影響のない断面が存在することは注目すべきことである。この断面以後は先着が必ずしも有利でなかったり、或いは相手に2手或いはそれ以上連続打着を許しても何等の影響もなかったり、断面以前と様相が異なる。一般には断面以後は緊迫感がなくなるのであるが、特殊形が存在する場合は断面以後にも大きな振変りが生じたりする場合がある。 中国式I及びIIのルールではその断面に対する処置を放認したために“偶数ダメの問題”を生じ、しかもルール上では断面以後の緊迫感のない状態での打着を進めなければならないという面倒さがある。勿論これを合意により省略することはできるが。 台湾式ルールはこの断面をとらえ、その手止りに対して1/2目ルールを適用するところに特長があるのである。しかも特殊形のない場合にはこの断面で合意の終局にすることが実戦上都合がよいことが多いのである。 日本の慣習ルールの場合は、この断面を終局としたことに本質的は問題があるのである。たしかに特異形のない場合は、この断面が実質的な勝負の終わりであって、それ以後の打着はただ面倒なだけのものであるけれども特異形が存在する場合は、その特異形の処理がその断面以後に行われる場合があるにもかかわらず敢えて無視しようとしたところに問題を生じたのであると云える。 思考を要しない無駄な打着は、一手でも打着することは棋譜をよごすものであるという日本人の潔癖性がその断面をもって終局とするとしたことは理解されることではあるが、その断面以後でなければ処理されない特殊形の解決の手段を無視して、その断面を終局とすることには無理があり合理的であるとはいえない。日本の慣習法で“隅のマガリ四目無条件死”や“トラズ三目”等の規定は、この断面を終局とするために必要となった規定であることに注目しなければならない。 “地とハマ”を得点とするルールの場合は、この断面以後の自己の地の中への打着は一般にはマイナスとなるのであることも、日本の慣習ルールがその断面をもって終局とした大きな理由である。 特殊形が存在して、それをその断面後あくまでも打着によって解決するためには、中国式や台湾式のように断面以後の着手が損にならないルールでは何等の規定も不要であるけれども、“地とハマ”を中心とするルールにおいては、その断面以後の着手のためのルールを明確に規定する必要があるのである。 日本棋院の最近の改正案(勿論まだ理事会が承認していない)は、この断面を終局として、それ以後の着手が必要な場合はそれを証明期間と考えて、双方が納得するところまで打着したならばもとに戻す(断面のところまで)としてある。 これは断面のところをあくまでも終局とする立場に立つものであるが、特殊形が存在する場合には、その断面以後において大きな振変りや変化を生ずる場合もあるので、その変化した状態によって勝敗を判定する必要がある場合もある上に、その変化をもとに戻すということは不可能ではないにしても、実際上もとに戻すことは容易でなく又誤りも生じ易いといえよう。断面以後の打着をもとに戻すということは如何にも不自然であり奇妙といわざるを得ない。従ってそれはルールとしては上策とは思えないし、論理的な必然性もない。 そのような犠牲を払ってまで、その断面を終局とすることには無理があり、やはりルールの合理化のためには、その断面以後の着手のルールを確立して必要ならば最後まで打着を進めて終局とすることが必要である筈である。 |